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浄心かいわい寺社の歴史

浄心かいわいには多数の神社やお寺があります。
そして、それぞれに深い歴史がある事はなかなか知られていません。
浄心かいわいの神社・お寺に関する起源、伝承、所縁などを纏めました。
実際に行って、見てみると尚一層親しみが湧くのかもしれませんね。
 
浄心寺
曹洞宗。俗に浄心観音といい、本尊は如意輪観音。『尾張志』に「巾下上宿の北西、江川端にあり、寛政年中二七八九〜一八〇コ浄心寺といひし哲寺の廃地に一堂を建立し、石にて刻める正観音の像を安置す、傍に法華宝塔金毘羅の社等数字ありて参詣人たえず。されどもいまだ寺号なし。以上の二堂及びくまの比丘尼は修験の類にあらずといへども、・・・
興西寺
真宗大谷派。『尾張志』に「上宿五平蔵町にありて、参河国
針崎村勝鬘寺の末寺なり。はじめ真言宗にて、浄蓮坊と名づ
け永禄元年(一五五八)には開基。海東郡供米田村(現、豊
治村)にありしを、天正年中(一五七三〜九二)に今の宗に
改め、興西寺と改号せしを寛永年中(コ八二四〜四四)に北
鷹匠町に移った。是より先に、元和年中(一六  五天一四)
に今の御深井のうち紅葉柵の辺に移り、・・・
周泉寺
曹洞宗。旧町名では天神山町三丁目八番地。『尾張拘行記』に「押切村支邑柳町ニアリ、禅宗、春日井郡下ノ郷村天柱寺二属ス」とある。また、追加文として「万蜜山周泉寺ハ寛永二年二六二五」丑歳中島郡片原一色村ヨリ移ル、初メ無縁寺ト号ス、近世、周泉寺ト改号ス、寺内二秋葉宮アリ、享保十五戌年二勧請ス、此寺ハ柳町ニアリ」とある、境内に大師像あり。現住職は井上公夫氏。
宗像神社
『名古屋市史』によれば「境内四百十四坪あり、もと弁才天といひしが藩祖義直が筑前の宗像神社を勤請して、宗形社と号せり。今、俗に辨天、又は御深井の辨天と称す。もと、下御深井の池の島、御深井向島と称す、今北練兵場(現、名城公園)の西なる招魂社の森是なり、徳川時代には此社四十問四方あり、勤詰の年月日詳ならず」とある。また、『尾張志』に「此處の宗形の社も三神三所に別れて鎮座し給へり、・・・
武島天神社
旧町名を泥町一丁目八番地といった。この地はもと、武島梅の木といい、その後、五平蔵町、上宿六軒町、天神町と称していた、藩政時代には東西十二問、南北八間で除地であった。勤請年月日は不明だが、一説には応安元年(一三六八)といわれ、そのころは深井丸の南あたりにあって、名古屋城築城のため、現在地に選宮。『尾張志』に「武島の旧址は五平蔵町の東北の方、田圃の字に辨才といふ地にて、・・・
上宿山神社
もと、山ノ神社といい、昭和二〇年五月一四日の戦災で、隣接の武島天神社共に焼失したため、昭和一二年三月五日に天神社を山神社に招魂。同年四月一五日に非公認に上宿神社と称えた。後に武島天神社は泥町(現、城西五丁目)に、再び、分離したが、山神社の方はそのまま、上宿神社と呼称した。『名古屋市史』によれば「勤請の年は不明」。・・・
 
浅間神社 『尾張志』によれば「大船町の西にあり、木花開耶姫神を祀る。鎮座の年月しられず。もとは廣井村のうちなる阿原といふ地に在りしを正保四年(一六四七)ここに移せり」とある。・・・
冨士浅間神社 祭神の木花開耶姫命は大山祗神の子で、天孫瓊々杵尊の后でもある。社伝にによれば、今から六百年前の応永五年(一三九八)六月に、三谷源太夫が藤塚町(現、東区内)に謹請したが、・・・
白山社 創建は不詳。祭神は伊部再尊が主神。大正七年には児玉村時代の他の五桂神を合祀して、十余柱になった。境内社に神明社、その東隣に秋葉社、西隣に金刀比羅社。拝殿は大正六年に改築。・・・
西光寺 浄土宗西山派。旧町名は俵町三丁目二番地。山号を五雲山。京都東山南禅寺町禅林寺の末寺。明治二二年八月に柴田慈慶が中区門前町二丁目に説教所を設立。・・・
本龍寺 法華{示。旧町名で、北押切町二十二番地。『尾張恂行記』に「府志日夕本龍寺在押切村、号慈雲山、日蓮宗 属越後州本成寺」とある。また、同書に追加として「本龍寺越後蒲原本成寺ノ末ナリ、・・・
受徳寺 旧町名では紙漉町一于目八番地。真宗本願寺派。山号は嘉佐山。もと海束郡新居屋(現、甚目寺町にあって天台宗であった。創建年月日は不詳。・・・
観音寺 曹洞宗。山号は三宝山。永安寺に属す。『尾張恂行記』に「慶長ト八年(一六∇ご焚丑歳、考国豊淳和尚‥‥い創也。本尊ノ正(聖)観音像ハ瑞龍公(二代藩主光友)が御深井丸ヨリ当寺二御安置遊サル、・・・
薬師寺
『尾張恂行・記しに「薬師堂内一畝御除地 往古丹羽五郎左衛門城址ノ巾 米‐内児ノ松ト云フ古本アリ、其ノ下二児宮アリ」とある。内出社本殿内ニ(児宮一宇造建 時二享保三戊戌年二じ一八)」A記された木札が・・・