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浄心寺
曹洞宗。俗に浄心観音といい、本尊は如意輪観音。『尾張志』に「巾下上宿の北西、江川端にあり、寛政年中二七八九〜一八〇コ浄心寺といひし哲寺の廃地に一堂を建立し、石にて刻める正観音の像を安置す、傍に法華宝塔金毘羅の社等数字ありて参詣人たえず。されどもいまだ寺号なし。以上の二堂及びくまの比丘尼は修験の類にあらずといへども、いずれも尼僧の守る処にして璽佛等の聞えあれば巻末にしるすのみ」とある。嘉永五年二八五一二に大光大薩によって著述の「上宿浄心庵由来」によれば、佐占の浄心院の寺跡が百姓治助の控地になっていた所に文化八年(一八一二に開聞、本尊に如意輪観音他に岩塚光明寺より薬師如来招請、開山は寂照禅師で大須大光院の末寺」とある。本尊の須弥壇には弘化二年二八四五)七月一〇日の銘が、また、現本堂の棟札には安政四年(一八五七)丁巳の銘がある。堂内に金刀比羅宮、境内に文政元年(一八一八)石碑宝医印塔、中庭に文化一三年の銘のある観音石像がある。現佐職は犬飼明光氏。

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