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『尾張志』によれば「大船町の西にあり、木花開耶姫神を祀る。鎮座の年月しられず。もとは廣井村のうちなる阿原といふ地に在りしを正保四年(一六四七)ここに移せり」とある。『名古屋市史』には、「尾張年中行事絵抄によれば春日井郡河原村(現、新川町)より遷したるものとして、国内神名帳に所謂従三位河原天神と為す。参号本国帳、尾張神名帳集説、参考本国神名帳集説、尾張本国帳神社座地考、尾帳国明治神名帳等によれば、本社は春日井郡小田井荘河原村に在りて星天神又は星宮と称せしを、明冶初年河原神社と改めしよし見えたり、而して参考本国神名帳集説にはとくに、河原は河原の誤りなりとの説を無用のことと為せり」「正保四年、元禄十四年、享保二年、宝暦八年五月、天明三年三月、文化十二年七月、天保十年十一月、明治三年八月に修造、或は重修して遷宮す。明治初年村社に列す」とある。明治四〇年に供進指定社となった。境内には戦火にもめげずに残った三百年以上の樹齢を誇るケヤキが七本もある。宝物に夷子神木像かあり、神職は寛文、延宝、寛保年間までは松井家、天保、明治になって森家、明治一三年ごろよリ三谷重彦氏が継ぎ、現宮司は渡辺松雄氏。 |
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