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白山社
創建は不詳。祭神は伊部再尊が主神。大正七年には児玉村時代の他の五桂神を合祀して、十余柱になった。境内社に神明社、その東隣に秋葉社、西隣に金刀比羅社。拝殿は大正六年に改築。大正七年に合祀された社は児宮(祭神、彦火火出見尊、天2御中主大御神、創建は享保三年以前)・社宮司社(祭神、介稲魂命、大山昨尊、中津比売命、天津児屋根命、創建は天元二年二月)・稲荷社(祭神、倉稲魂尊、創建は宝永五年二月)・神明社(祭神、天照大神、創建は元和四年一〇月)・八幡社(祭神、応神天皇、創建は宝永七年二月一五日)・秋葉社(祭神、迦具土神、創建は明治五年五月)・清洲机の神祠である。このうち、神明社は観音寺境内にかつてあり、『張州府志』・『金隣九十九之塵』にも物語られている神明社の木馬がお0いを運んできたという伝説がある。すなわち、元和四年二六一八)一〇月コ八日に赤雲がたなびくうち一陣の風が吹き、村人を驚かせた。翌日、大日堂の前に伊勢神宮の祓いを背負った木馬が落ちていたので、村の人たちはこの木馬を納めた神明社を創建したのが当社である。藩祖義直が鷹狩りにこの辺にきたとき、この由来を聞き、この地を伊勢山、すぐ東を流れる川に架けた橋をお伊勢橋と名づけたとのことだ。また、その川をお伊勢川といって笈瀬川とも書く。この木馬は今、白山社に納められている。八幡社については『尾張恂行記』に「八幡祠、宝永六年(一七〇九)円覚公御造営の由」との記述がみられる。また、白山社本殿にある棟木に「三宝山観音禅寺境内之裡、八幡宮御建立尾陽城主権中納言従三位源朝臣吉通卿し扱に「維時宝永第七龍集庚寅二月十有五日」とある。この木馬の伝説については、お伊勢川(笈瀬川)の下流には野田御厨、一柳御厨といった伊勢神宮の内宮関係の荘園があったためか神明社を祀る集落が多い。このため、笈瀬川流域に伊勢神道が伝播していった証しではなかろうか。

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